心停止50分・低酸素脳症の後遺症と3年間の記録|家族だからできることと、諦めない理由
あの日のことは、今でも鮮明に覚えています。
夫が倒れたという連絡を受けたとき、最初は「立ちくらみか貧血だろう」と思っていました。
子どもたちを連れてタクシーに乗り、病院へ向かっている途中のことでした。
病院から携帯に電話がかかってきました。
遠くで「奥様の到着はまだですかー!」と叫んでいる声が聞こえました。
——ただ事ではない。
その声の切迫感が、言葉よりも先に体に伝わってきました。
タクシーの中で、子どもたちの前で、私はその事実を飲み込もうとしていました。
子どもたちがパニックにならないだろうか。何と説明すればいいのだろう。
いくつもの不安が、一度に押し寄せてきました。
病院に着くと、待合室に通されました。
看護師さんから「心停止で緊急手術中です」と告げられました。
既往歴や普段飲んでいるお薬を聞かれ、その後医師からも説明と同意書へのサインを求められました。頭では理解しようとしていても、言葉が現実として入ってこない感覚でした。
たくさんの同意書や入院手続きの書類にサインし、夫の荷物を職場の方から受け取りました。
各所への連絡をしながら、ただ夫の無事を願い続けました。
駆けつけてくださった夫の職場の方々が、子どもたちにサンドイッチやおにぎり・お菓子を差し入れてくださいました。子どもをあやしてくれる場面もあり、どれほど救われたか分かりません。
病院の玄関が閉まる時間になり、子どもたちの疲労もピークでした。
この日は帰宅するしかありませんでした。
翌日から、毎日ICUへ通う日々が始まりました。
夫が倒れてから、もうすぐ3年になります。
あの頃の私と同じように、答えを探しながら不安の中にいる家族の方に、この記録が少しでも届けばと思い、書いています。
※この記事は実体験をもとにしています。
後遺症の程度・回復の経過には個人差があります。
医療的な判断は必ず主治医にご相談ください。本記事の夫の状態:急性心筋梗塞後、低酸素脳症・心原性脳塞栓症を発症。
要介護4/胃ろう/全介助/重度四肢麻痺/失語症あり。
この記事でわかること
- 心停止50分・低酸素脳症とはどういう状態なのか
- ICUで意識が戻らない間、家族としてできたこと
- 意識がない中でも始まっていたリハビリのこと
- 一般病棟へ移る前に子どもたちと夫が再会した日のこと
- 意識が戻った後に直面した後遺症の現実
- 回復期リハビリ150日終了後にある選択肢
- ITB療法・ボトックス・醒脳開竅法・嚥下評価入院——3年間で探し続けた治療の記録
- 離婚していなくてもひとり親になれる場合があること
- 数年経った今、同じ立場の家族に伝えたいこと
心停止50分——夫の脳に何が起きたのか
急性心筋梗塞による心停止。
周囲の方の迅速な対応と救急隊員のAEDが命をつなぎました。
一方で、処置が始まるまでの50分間、脳への酸素供給は途絶えていました。
低酸素脳症(Hypoxic encephalopathy)
循環不全または呼吸不全などにより、十分な酸素供給ができなくなり脳に障害をきたした病態を低酸素脳症といいます。心停止により脳への酸素供給が途絶えると、意識は数秒以内に消失し、3〜5分以上の心停止では、仮に自己心拍が再開しても脳障害(蘇生後脳症)を生じます。
重度のものになると昏睡状態、手足の麻痺、痙攣などが出現し、社会復帰が難しくなる場合があります。
夫の場合、50分という時間が脳のさまざまな部位に広範囲のダメージを与えていました。
心原性脳塞栓症(Cardiogenic Cerebral Embolism: CCE)
さらに夫の場合、急性心筋梗塞をきっかけに「心原性脳塞栓症」も合併していました。
心原性脳塞栓症とは、心臓でできた血の塊(血栓)が血流に乗って脳に運ばれ、脳の血管を詰まらせる病気です。
急激に症状が現れ、重症であることが大きな特徴です。
他の脳梗塞と比較してかなり大きな血栓が詰まるため、脳梗塞の範囲も大きく、失語・意識障害・手足の麻痺など重い症状が出ることが多いとされています。
一度発症すると約1割は亡くなり、救命できた場合でも約半数は寝たきりか車椅子生活になるなど、重い障害が残ると言われています。
元気だった人が急に要介護状態に陥るため、「ノックアウト型脳梗塞」とも呼ばれています。
参考:先進医療.net|心臓の病気が原因で脳梗塞に?心原性脳塞栓症
済生会|心原性脳塞栓症
低酸素脳症と心原性脳塞栓症が重なったことで、後遺症として残ったのは重度の四肢麻痺・言語障害(失語症)・記憶障害でした。
夫と同じような状況の体験談は、なかなか見つかりませんでした。
心停止という経緯、50分という長い時間、2つの病態の合併——条件が重なるほど、参考になる事例は少なくなっていきます。
それでも諦めず、論文を読み、ネットを検索し続けていました。
「数年後がどうなるか」の見通しが少しでも立てば、家族の気持ちも少し落ち着くかもしれない——そんな思いがあったからかもしれません。
ICUの日々——意識が戻らない夫のそばで

子どもたちはICUへは入れません。私一人で、たくさんのチューブにつながれた夫と対面しました。
「いってらっしゃい」と見送ったのが最後で、次に会うときがこんな姿になるとは、想像もしていませんでした。
痛かったね。つらかったね。よくがんばったね。まだまだ一緒にやりたいことがあったよね。早く戻ってきて。
毎日、耳元でそう声をかけながら、手足をさすり続けました。夫が好きだった音楽のCDを作り、ICUで流してもらうようにもしました。意識のない人に声をかけることに意味があるのかどうか、当時の私には分かりませんでした。それでも、「届いてほしい」という思いが、私自身を動かし続けてくれていたように思います。
病院までの往復、運転しながら泣いてしまうことが何度もありました。意識が戻るまではひたすら祈る日々。意識が戻ってからも、祈ることしかできないと感じていました。
それでも、「何かできることがあるはずだ」という思いで、スマホで子どもたちの動画を撮り、夫の耳元で聴かせ続けました。
「パパ、起きて!」「パパ、早く元気になってね!」「今日はね、〇〇したんだよ」
いつもの日常の声を、ただ届け続けました。
後になって、意識のない状態でも聴覚からの刺激が脳に届く可能性があるという話を聞きました。「家族にしかできないことが、まだある」——そう感じられたことが、当時の私にとってどれほどの支えになったか分かりません。
リハビリが始まった日——医療チームへの感謝

意識が戻ってから、リハビリが始まりました。
直接見ることはできませんでしたが、担当の看護師さんから「リハビリを始めています」と伝えていただきました。後日、タブレットに撮ってくれていた動画を共有していただいたとき、思わず涙が出ました。
意識が戻った夫を、看護師さん・理学療法士さんをはじめ4人がかかりで支えながら、立たせる練習をしていたのです。
体の大きな夫を、4人で。
「もう何もできないかもしれない」という不安の中で、医療チームがこんなにも全力で夫と向き合ってくれている——
その事実が、私にとってどれほどの救いになったか分かりません。
「廃用症候群(長期間動かないことで起こる筋肉や関節の機能低下)」を防ぐために、急性期から離床・体位変換を行うことが重要とされています。
意識が戻ったタイミングから動いてくれていた医療チームに、今も感謝しています。
一般病棟へ移る前に——子どもたちと夫が再会した日
一般病棟へ移る前に、車椅子に乗った状態で子どもたちと面会させてもらう機会がありました。
子どもたちは、元気だったパパとは別人になってしまった父親に戸惑っていました。
少し怖がっている様子も見えました。
気持ちの整理がつかない子どもたちの表情を見て、私も複雑な気持ちになりました。
「子どもたちにとって、これがどれほど大きな出来事なのか」——
当たり前のことなのに、改めて胸に迫るものがありました。
でも今は、子どもたちも以前のように夫と接することができるようになっています。
時間をかけながら、少しずつ、家族なりの形を見つけてきたのだと思っています。
意識が戻った後に直面した後遺症の現実
しばらくして、夫の意識が戻りました。
けれど、戻ってきた夫は、以前の夫とは異なっていました。
重度の四肢麻痺——手も足も、自分の意思では動かせない状態でした。
失語症——言葉を発することも、人の言葉を理解することも、著しく困難な状態です。
記憶障害——記憶の連続性が失われ、日常的な記憶の積み重ねが難しくなっていました。
「後遺症は個人差が大きい」と言われます。その言葉の意味を、実感として理解したのは、体験談を探し始めてからでした。
心停止という経緯、50分という長い時間、低酸素脳症と心原性脳塞栓症の合併——夫と同じような状況の体験談は、なかなか見つかりませんでした。
条件が重なるほど、参考になる事例は少なくなっていきます。
それでも諦めず、論文を読み、ネットを検索し続けていました。
「数年後がどうなるか」の見通しが少しでも立てば、家族の気持ちも少し落ち着くかもしれない——そんな思いがあったからかもしれません。
見通しが立たないことの怖さは、経験した人にしか分からない部分があると思います。
今振り返ると、答えを探し続けること自体が、私を前に進ませてくれていたようにも感じています。
150日間の回復期リハビリ終了——その後の選択肢
急性期の治療を終え、回復期病院でのリハビリが始まりました。
理学療法士・作業療法士・言語聴覚士の方々が、毎日丁寧に関わってくださいました。
しかし、医療保険でのリハビリには上限があります。
回復期リハビリ病棟での入院は、原則として150日(高次脳機能障害などの場合は180日)が上限とされています。
「まだ回復できる余地があるのに」という思いはありました。
それでも制度の壁は、家族の気持ちでは越えられないものでした。
リハビリ終了後に選択できる主な方法は以下の通りです。
| 選択肢 | 内容 |
|---|---|
| 介護保険への移行 | 通所リハビリ(デイケア)・訪問リハビリに切り替え |
| 自費リハビリ | 保険の制限を受けず専門的リハビリを継続 |
| 医療保険の継続(例外) | 治療上の必要性が認められる場合のみ継続可 |
どの選択肢が合っているかは、状態や家庭の状況によって変わります。
主治医やケアマネジャーに相談しながら、一つひとつ確認していくことが大切だと感じています。
リハビリをどう続けるかは、状態や住んでいる地域によってもかなり違います。
「うちの場合はどうなるんだろう」と思ったら、まず主治医やケアマネジャーに相談してみてください。一人で抱え込まなくて大丈夫です。
3年間で探し続けた治療の記録
150日のリハビリが終わっても、諦めることはできませんでした。
「他に何かできることがあるかもしれない」という思いが、私を動かし続けていました。
新しい治療の可能性を探し続けた記録を、ここにまとめます。
ITB療法(バクロフェン髄注療法)を検討——当面見送りに
夫の後遺症のひとつが「痙縮(けいしゅく)」です。
筋肉が過剰に緊張し、手足がかちこちに固まってしまう状態で、介護のたびに感じる負担の一つでもありました。
痙縮の治療として調べていく中で「ITB療法(バクロフェン髄注療法)」という選択肢を知りました。腹部にポンプを埋め込み、脊髄近くに薬(バクロフェン)を直接持続投与することで、筋肉のつっぱりを緩和する治療法です。
ITB療法は2005年に厚生労働省が承認した治療法で、脳卒中治療ガイドライン2021では痙縮の軽減を目的とした使用がグレードBとして認められています。
専門の医療機関に相談しましたが、夫の状態では適応外と判断されました。
体力的な負担も大きく、当面は見送ることにしました。
「試してみることもできなかった」という悔しさはあります。
でも、選択肢を知っておくことで、将来的に状況が変わったときに動けると思っています。
ボトックス注射+リハビリ入院——実施・効果あり
ITB療法が難しいとわかった後、「ボトックス注射(ボツリヌス療法)+集中リハビリ入院」を検討・実施しました。
短期入院で主に上肢のリハビリを行いました。
かちこちに固まっていた腕や肩が、入院後に楽になったようで、表情が少し和らいでいるように感じました。あの変化は、今でも印象に残っています。
現在も外来でのボトックス注射を定期的に受け続けています。
ボツリヌス療法(ボトックス注射)は、脳卒中治療ガイドラインでグレードA(強く推奨)とされており、痙縮の軽減・関節可動域の改善・介護負担の軽減に有効とされています。保険適用の対象です。
「座れる」ということの価値——日常の中の小さなリハビリ
リハビリというと、専門的なプログラムをイメージされる方も多いかもしれません。
でも、この数年で感じてきたのは、「車椅子に座らせてもらえるだけでも、大きな刺激になる」ということでした。
夫が座位をとれるようになったきっかけは、ICUから一般病棟に移った頃のことです。
意識が戻り始めた夫を見て、リハビリスタッフの方が気づいてくれました——
「体幹がしっかりしているので、座位がとれる」と。
手足の拘縮が重く、立つ練習はなかなかできない状況でしたが、「座れる」という事実が、その後の介護の大きな支えになっていきました。
医療・介護の現場では、胃ろうの方はほとんど寝たままになりやすいとも聞いていました。
それでも日中はなるべく車椅子に乗せてもらえるようにお願いし続けました。現在、体調を崩して入院中ですが、今も離床を促してもらい、全介助ではありますが車椅子に座らせてもらっています。
限られた医療・介護の資源の中で、大きなリハビリはなかなかできません。
でも、座らせてもらえるだけで表情が変わる。目線が変わる。
それが積み重なっていくことの意味を、この数年で実感してきました。
今後の目標として、ボトックスなどを続けながら、いつか立位の練習ができるようになることを目指しています。
「選択肢を探して、動いてみてよかった」と感じる出来事のひとつです。
醒脳開竅法(せいのうかいきょうほう)を知った
在宅介護が始まってしばらく経った頃、鍼灸の専門家から「醒脳開竅法(せいのうかいきょうほう)」という治療法を教えていただきました。
醒脳開竅法は、中国天津中医薬大学の石学敏教授が1972年に考案した鍼治療法です。脳卒中の急性期・後遺症(麻痺・言語障害・嚥下障害)に対して、特殊なツボ配置と刺鍼技術を用いて脳血流量を増やし、脳の機能を呼び覚ますことを目的としています。入院患者2959例を対象とした報告では、総有効率は96.42%とされています。
初めて聞く治療法でした。「こんな選択肢があったのか」という驚きと、「なぜ誰も教えてくれなかったのだろう」という複雑な気持ちが入り混じりました。
この治療を行っている鍼灸師さんに問い合わせたところ、「意識が戻っている状態では非常に痛い治療のため、今の夫の状態では必要ない」との回答でした。
夫の医療マッサージを担当している鍼灸師さんはこの治療法をご存知ではありませんでした。
入院中に外部の鍼灸師さんに治療していただくことは、日本の医療体制ではなかなか難しい面があるとも感じています。
もし急性期にこの治療法を知っていたとしても、実現できたかどうか分かりません。
それでも、「こういう治療法があるんだ」という発見は、諦めずに探し続けることの大切さを改めて気づかせてくれました。
⚠️ 醒脳開竅法は専門的な技術が必要な治療法です。
関心のある方は天津中医薬大学の認定を受けた施術所に相談されることをおすすめします。必ず主治医にもご確認ください。
嚥下評価入院——諦めなかった先に見えた景色

治療の選択肢を探し続ける中で、ひとつの転機が訪れました。
胃ろうだけの生活が続いていた夫が、ある日「水が飲みたい」とつぶやいたのです。
はっきりとした言葉ではありませんでした。でも、そう聞こえました。
その一言が私を動かし、「嚥下評価入院」という選択肢に行き着きました。
専門の医療機関で「安全に口から食べられるか」を評価する短期入院です。
入院を経て、約10か月ぶりに夫が口から水分を摂れるようになりました。
果物ジュースを一口飲んでもらえた瞬間——目を閉じて、ゆっくり味わう夫の表情は、今でも忘れられません。量としてはごくわずかです。
でも、「口から摂れた」という事実が、家族にとってどれほど大きな一歩だったか、言葉では表しきれません。
諦めずに探し続けたことが、この小さな、でも大きな一歩につながったのだと感じています。
嚥下評価入院の詳しい体験は別記事でまとめています。 → [関連記事:嚥下評価入院で口から食べる喜びを取り戻す|胃ろう生活からの経口摂取体験談]
数年経って気づいたこと——これから同じ立場の家族へ

数年間で、たくさんのことを知りました。そして、「もっと早く知っていれば」と思うことも、少なくありませんでした。
「ひとり親」は、離婚しなくてもなれる場合がある
配偶者が重度障害で働けない状態になった場合、離婚していなくてもひとり親認定を受けられる可能性があります。
私自身も、最初は「離婚しなければひとり親にはなれない」と思い込んでいました。
だから、最初は申請しようとすら考えませんでした。
でも市役所で相談してみたところ、配偶者が重度障害で就労できない状態であれば申請できる可能性があると分かり、認定を受けることができました。
認定後は、児童扶養手当・医療費助成・学童費用の減免など、複数の支援制度を活用できるようになりました。収入によっては認定が難しいケースもありますが、「どうせ無理だろう」と思わず、まず相談してみることをおすすめしたいです。
行動してみないとわからないことが、たくさんある
ITB療法もボトックスも醒脳開竅法も、嚥下評価入院も——
どれも最初は「本当に意味があるのかな」と半信半疑でした。
断られたこともありました。「今は必要ない」と言われたこともありました。
でも、調べて、問い合わせて、動いてみたからこそ分かったことが、たくさんありました。
動いた結果が必ずしも「成功」になるわけではありません。
けれど、動かなければ選択肢さえ見えなかった——
そう感じる場面が、この数年で何度もありました。
見通しが少し立つと、気持ちが変わっていく
急性期・回復期の頃は「これからどうなるのか」が全く見えず、不安で押しつぶされそうな日々が続いていました。
数年経った今も、すべてが明確になったわけではありません。
でも、「この状態でも、生活は続けられる」という実感が少しずつ積み重なってきた感覚があります。
今まさに先が見えない不安の中にいる方へ——完全な見通しが立たなくても、大丈夫だということを伝えたいです。
一つひとつ、今できることを探していくことが、気づいたら前に進む力になっていることがあります。
おすすめの本
低酸素脳症・病院生活をテーマにした実体験のコミックエッセイです。同じような状況の家族に読まれており、「一人じゃないと思えた」という声も多い一冊です。
推しは目覚めないダンナ様です 低酸素脳症になってからの病院生活(そら 著)
まとめ
心停止から3年。現在も医療機関での入院が続いています。
面会は時期によって変わり、オンラインだけの時期やガラス越しの面会、30分会えた時期もありました。今は短い時間でも、直接会って手に触れられます。
思い描いていた回復の形とは違うかもしれません。
それでも、会える形は少しずつ変わり、その中でできることも見えてきました。
もし今、ICUでご家族が治療を受けている方へ。
声をかけること、手を握ること、その時間は、あとから振り返ると大切な時間になっていました。
先は見えなくても、状況は動いていきます。
今日をひとつ乗り越えることが、次につながっていきます。
【関連記事リンク】
| 内容の簡単な紹介 | 関連記事 |
|---|---|
| ICU退室後に直面した胃ろう・拘縮・回復期病院が見つからなかった現実 | 【体験談】ICUから一般病棟へ|意識不明の夫と家族が直面した現実 |
| 嚥下評価入院を経て口から飲めるようになった実体験 | 嚥下評価入院で口から食べる喜びを取り戻す |
| 夫が病気で働けなくなったときに使えた制度の全体像 | 【保存版】夫が病気で働けなくなったときに使えた制度まとめ |
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