子どもの塾で、自治体の学習支援制度について相談したときのことです。
制度の対象になることを伝えると、塾の方がこう声をかけてくださいました。

無料だから来ればいいよ。

悪気はなかったのだと思います。
むしろ、「せっかく利用できる制度なんだから、遠慮しなくていいよ」という気持ちから出た言葉だったのでしょう。

でも、その直後にこう続きました。

うちも子どもが小さい頃、給食費が無料で助かった。今は税金を払って恩返ししている。

その瞬間、胸の奥がすっと冷たくなるのを感じました。
「私は、支えてもらう側の人間だと思われたのかな。」そんな気持ちが、じわじわと込み上げてきたのです。

もちろん、この言葉自体が悪かったと言いたいわけではありません。

塾の方は、制度を利用することを後押ししようとしてくださったのだと思います。
ただ、当時の私は夫の病気や介護、生活の大きな変化の中で心に余裕がなく、その何気ない一言が胸に残ってしまいました。

それでも私は、その場でこう伝えました。

うちも、いただいた恩を返せるよう頑張ります

強がりではなく、本心でした。

私は、支援を受けることを当たり前だとは思っていません。

今、私たちが支えていただいているのは、多くの方が納めてくださった税金や社会保険料のおかげです。だからこそ、そのことへの感謝は忘れずにいたいと思っています。

制度よりも、人の目が気になっていました

家族が病気になったり、介護が始まったり、収入が大きく変わったりすると、私たちはさまざまな支援制度を利用することがあります。

高額療養費制度、児童扶養手当、自治体の学習支援制度、医療費助成など、日本には暮らしを支える制度が数多く用意されています。

私たちも、夫の病気をきっかけにいくつもの制度を利用する立場になりました。
制度のおかげで生活を続けることができ、本当に感謝しています。

けれど一方で、制度を利用するたびに、「かわいそうな家族」と見られているような気持ちになることがありました。

制度そのものではありません。何気ない一言や、自分自身の受け止め方によって、心が大きく揺れてしまうことがあったのです。

「申し訳ない。」

「迷惑をかけていると思われているのではないか。」

「支援を受けている人として見られているのではないか。」

同じような気持ちになったことがある方も、いらっしゃるのではないでしょうか。

でも、あるとき気づきました。
支援制度は、「特別な人だけが利用するもの」ではありません。
病気、介護、失業、災害、出産、子育て。人生には、自分ではどうすることもできない出来事が起こることがあります。
今日は支える側でも、明日は支えられる側になるかもしれません。

支援制度は、誰か一人の善意だけで成り立っているものではなく、多くの人が納めた税金や社会保険料によって支えられている社会の仕組みです。

だからといって、「利用できるのだから当然」と考えているわけではありません。

今、私たちが支えていただいているのは、多くの方が納めてくださった税金や社会保険料のおかげです。だからこそ、そのことへの感謝は忘れずにいたいと思っています。
そして、今の状況がずっと続くとも思っていません。私は今も、少しずつ収入を増やし、いつか非課税世帯を卒業できるよう努力を続けています。

子どもたちにも、「今はたくさんの人に助けてもらっているから、大人になったら、今度は誰かを助けられる人になれたら素敵だね。」と話をしています。

支援制度は、受け取って終わりではありません。
支えていただいたことに感謝しながら、いつか自分たちも社会へ返していく。
そんな循環の中に、自分たちも加わっていけたらと思っています。

「ひとり親」という言葉に、毎回少し戸惑う

夫の病気がきっかけで、私は公的には「ひとり親世帯」として支援制度を利用しています。
普段の生活で、自分から「ひとり親です」と話すことはありません。

けれど、児童扶養手当や学習支援制度などを利用するとき、この言葉が出てくるたびに少し複雑な気持ちになります。
というのも、「ひとり親」という言葉から、離婚を思い浮かべる人が少なくないからです。
もちろん、離婚によって子どもを育てているご家庭を否定したいわけではありません。
私が戸惑うのは、自分の状況を一言では説明しきれないことです。

私は離婚したわけではありません。
夫は今も大切な家族です。
ただ、病気によって長期間一緒に生活することが難しくなり、制度上は「ひとり親世帯」と認定されています。

役所の窓口で同居しているパートナーの有無を尋ねられたときも、「離婚した人」という前提で話が進んでいるように感じ、どう説明したらいいのか戸惑ったことがありました。

「ひとり親」と一言でいっても、その背景はさまざまです。
離婚だけでなく、死別や家族の病気、長期入院など、それぞれ異なる事情があります。
一つの言葉だけでは表しきれない現実があることを、少しだけ知ってもらえたら嬉しいです。

不安だったのは、制度ではなく「人からどう見られているか」でした

振り返ると、私を苦しめていたのは制度そのものではありませんでした。
「どう見られているのだろう。」

「決めつけられているのではないか。」

そんな不安でした。

もちろん、相手に悪気がなかったこともあると思います。
言葉の受け止め方は、そのときの自分の心の状態にも左右されます。家族の介護や病気、子育てを抱えているときは、普段なら気にならない一言にも傷ついてしまうことがあります。

だから私は最近、「相手の真意は分からない」と、一度立ち止まって考えるようにしています。
そうすると、「もしかしたら応援しようとしてくれていたのかもしれない」「励ますつもりで言ってくださったのかもしれない」と、別の受け止め方ができることがあります。

もちろん、それでも心が痛む日はあります。

でも、相手の気持ちを決めつけず、自分自身も責めすぎないように意識することで、以前より少しだけ気持ちが楽になりました。

人としての価値は、変わらないと思うようにしています

制度を利用しているかどうかで、人の価値が決まるわけではない。
そう、自分自身に言い聞かせるようにしています。

病気になっても。

介護が始まっても。

非課税世帯になっても。

支援制度を利用していても。

人としての価値は変わりません。

そして、制度を利用している人は、「支えられる側」のままではないと思っています。
病気が回復して仕事に復帰する人もいます。

生活が落ち着き、再び社会を支える立場になる人もいます。

子どもたちが成長し、今度は誰かを支える大人になることもあります。

私自身も、今は支えていただく立場ですが、いつか非課税世帯を卒業し、社会に恩返しができるよう努力を続けています。

ブログで制度について発信しているのも、「あのとき助けてもらえて良かった」と思うだけで終わりたくないからです。

私が経験したことが、これから制度を利用する誰かの不安を少しでも軽くできたら、それも一つの恩返しになるのではないかと思っています。

そして、いつか逆の立場になったときには、制度を利用しているという理由だけで相手を決めつけず、一人の人として接することができる自分でありたいと思っています。

まとめ

病気や介護、子育て、失業など、人生には思いがけず支えが必要になることがあります。そんなときのために、日本には暮らしを支えるさまざまな公的制度が用意されています。

それらは、多くの人が納めた税金や社会保険料によって支えられ、困ったときに安心して暮らしを続けられるようにつくられた大切な仕組みです。

だから、制度を利用することは恥ずかしいことでも、申し訳ないことでもありません。

もし今、「肩身が狭い」「申し訳ない」と感じている方がいたら、その気持ちを無理に打ち消そうとしなくても大丈夫です。

まずは、「今、自分はそう感じているんだな」と、その気持ちを認めてあげるだけでも、少し心が軽くなることがあります。

そして、制度を利用することと、人としての価値はまったく別のことです。

私も今は支えていただく立場ですが、そのことへの感謝を忘れず、今の自分にできることを一つずつ積み重ねながら、いつか非課税世帯を卒業し、少しずつ社会に恩返しができる側へ近づいていきたいと思っています。

子どもたちにも、

「助けてもらったことを忘れず、大人になったら誰かを支えられる人になれたらいいね。」

と話しています。

支えていただいたことへの感謝は、その人だけに返すものではなく、いつか別の誰かを支えることでつないでいけたらと思っています。

もしこの記事を読んで、「自分だけじゃなかった」と少しでも心が軽くなった方がいたなら、とても嬉しく思います。